梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その55|横浜に集まる生糸商人たち

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

横浜に集まる生糸商人たち

本町五丁目石川生糸店之図

もともと民家がわずかに数十軒あるだけの寒村だった横浜に埋立地を作って場所を確保し、政府が声をかけて、江戸や地元の商人に店舗を構えさせた。しかし、商人たちも異人相手に何を売ったらよいの分からない。

困って、手あたりしだい店先に品物を置いたところ、生糸が売れた。いくらでも買うからもっと見せろと言う。半信半疑で店を構えた商人たちは色めきたった。

最初の生糸取引が行われたのは、地元出身の芝屋清三郎の店だったという。安政6年(1859年)6月28日に英人イソリキが、甲州産島田造生糸六俵を1斤(0.6kg)に付一分銀五個の値で買ったという。

これで、どうやら外国人は生糸に興味があるらしいことが分かり、以後、怒涛のように横浜に生糸が集まることになる。こうして、中居屋重兵衛、亀屋・原善三郎、野沢屋・茂木惣兵衛、甲州出身の若尾幾造など生糸で財を成す商人が台頭してくる。

図版は、本町5丁目にあった石川生糸店で外人が買い物をする図。本町5丁目は今の本町2丁目あたりになる(横浜市立図書館所蔵)。この石川生糸店は福井藩のいわばパイロットショップで、岡倉天心の父親は福井藩から出向してこの店で働いていた。

天心はこの角倉で生まれたので、角蔵と名付けられたという。

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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
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